茂木健一郎氏の書籍『脳と仮想』 内容は、<脳という物質>から<心という不可思議なモノ>がどのように生み出されるのか? という問題を、最前線の脳医学に基づいて論じています。 現代の科学では、心は<余計に付いているもの>くらいに考えられているそうです。 それは当たり前の話で、勘定が出来るモノしか対象にならない科学にとって、 心なんて勘定しようがないですもんね、そりゃそうです。 茂木氏は、私達の心にある勘定出来ないモノ、決して原則や論理に従わないモノを <仮想>と定義して、それが人間にとって如何に大切で必要不可欠なものなのかを語ります。 私達が心と呼んでいるモノは、脳にあることは誰でも解っていますよね。 脳には神経細胞があり、その伝達信号は数値化出来る訳です。 物質である脳は、明らかに科学の対象で、脳の科学的研究は随分前からされているでしょう。 でも、脳の中で起こっている脳内現象であるはずの心は、現代科学では <余計に付いているもの>で、勘定のしようがない。 人間固有な概念として、無視出来ないはずの心を<余計に付いているもの>とする 現代科学に警鐘を鳴らす茂木氏は、 この矛盾をどう受け止めたらいいのかと、研究している方です。(おそらく) 僕がこの本で面白いと感じたのは、 「現実世界の全ては仮想に過ぎない」という茂木氏の考え方です。 科学の根っこである数学も、人間の都合で数を割り当てただけの仮想に過ぎないし、 今、僕の目の前にあるコーヒーが入ったカップも、 「これはコーヒーが入ったカップだ」という経験情報から得た仮想に過ぎないし、 または、嗅覚や味覚や視覚によって得られた情報を元に 目の前にコーヒーが入ったカップがあるらしい、と認識しているに過ぎない。 僕は永遠にコーヒーが入ったカップに出会うことは出来ない。 ただ、コーヒーが入ったカップの存在を伝える情報によって、 <コーヒーが入ったカップがある>という現実を作り出したに過ぎない。 何となくそうだよな、と思うことはあっても、それを冷静に精密に語ってくれる人に出会えた気分です。 「そうだ!俺が感じている違和感はそれだ!」と思えた。 じゃあコレを物語の世界で考えたら。 物語は、それはもう100%作り物なんだから、仮想なのは間違いない。 役者は舞台に立ったり、カメラの前に立って、ありもしない事をさもある事のように演じる。 でも、それが観ているお客さんの心を動かす演技なら、 その役者は <演じている>という勘定を越えて、その人(役)の脳内現象を再現している、と言えないだろうか。 そして、現実もまた仮想。 ならば、役に成り切るという考え方は、脳医学的にはアリなのかなぁ~と思ったりする。
by rawworks
| 2009-04-27 15:19
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